モーションウィジット

2017年11月14日火曜日

【観光】聖路加国際病院、周囲には数々の江戸・明治の足跡

土曜日の朝、そうだ、築地に行ってみようと突如思い立って。
午後から雨の予報、だったらその前に、ついでに周辺の散歩をと、まずは聖路加国際病院周辺を巡ることに。
 
聖路加国際病院、かつては健康診断で年1訪問、会社の制度が変わって最近は地元で受けることに。
 
この病院、綺麗は綺麗なんですけど、空腹のままここまで電車で来るのがストレスではあったんです。
この立ち姿を見ると、そんなストレスが頭に蘇ります。
 
病院の敷地の端には、赤穂藩浅野家の上屋敷跡の碑。
 
ご存知の通り赤穂藩浅野家はお取り潰し、この土地も幕府に没収されたのは1700年頃。
その後、この地に外国人居留地ができたのは1869年のこと、江戸の歴史を感じられます。
 
浅野家碑のすぐ横、芥川龍之介生誕地の立て札。
 
へぇ、こんなものがあったとは全く知らなかったなぁ。
かつてここを通ったのは、朝食抜きで健康診断に向かう時か、健康診断が終わって昼食に急ぐ時。
こんな立て札には目もくれないですね。
 
聖路加タワーに近づいて、道路を渡った公園内の一角にはこんな碑が。
なぬなぬ、慶應義塾発祥の地か。
 
慶應義塾といえば三田、この地にどんな所縁があるのかを調べると、ここには中津藩中屋敷があったんですね。中津藩士の福沢諭吉がこの地に蘭学塾を開いたのが1858年、それでここが発祥の地になるわけです。
 
奥の碑、薄くて見にくいけど、人体と解体新書の文字。
これも何でか、前野良沢が中津藩医だったので、この地で解体新書を翻訳していたんだとのこと。
 
福沢諭吉と前野良沢、中津藩繋がりだったのか。
 
再び聖路加側に渡って歩くと、女子学院発祥の地。
 
そして立教学院発祥の地。
外国人居留地周辺、ミッション系学校がここに多数できていたようです。
 
聖路加タワー手間を右に曲がると、電信創業の地。
 
1869年、ここにあった東京築地運上所、つまり東京税関と横浜裁判所を結ぶ電信線が日本の公衆電信のはじめなんだそうです。
東京と横浜で税額の違いがあってはいけないのでと、この2ヶ所を電信で結んだんだとか。
 
その東京税関の碑、「水炊きの治作」の入り口近くにひっそり。
 
「水炊きの治作」って何だと調べたら、1人4万円の高級料亭なんだそうですね。
店内には鯉が泳ぐ池があったりと、東京とは思えない別世界とのこと、縁の無い世界だなぁ。
 
月島の渡跡の立て札。
今じゃ陸続きかと思うような月島・佃島も、勝鬨橋ができるまでは渡船があったんですね。
 
そんな日々を思い浮かべながら勝鬨橋方面へ…
そうだ、その前に聖路加国際病院の反対側、外国人居留地の碑方面にも行かなければ。
 
というところで、続きはまた明日。
 
 
【今日のワンポイント】
・聖路加国際病院近辺、立て札や碑ばかりですけど、江戸や明治の息吹を感るものが密集。探しながら歩くのもまた楽しいものです。
 

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