Adsense

2015年1月9日金曜日

昭和初期の遺産、聴松閣に

名古屋に到着して、初日に何もしないのは少々勿体無いなと。
泊めて頂いたところの近所、覚王山にある聴松閣に行ってみることにしました。
 
 
聴松閣は、この地にあった揚輝荘の一部。
揚輝荘というのは、伊藤呉服店を松坂屋に転換、初代社長として大正から昭和にかけて活躍した伊藤次郎左衛門祐民の別荘です。
 
かつては10,000坪にもおよぶ広大な敷地だったそうですけど、歴史を重ねて土地は切り売りされ、今残るのは聴松閣のある南庭園800坪強、北庭園2,000坪弱のみ。
2013年に修復整備が完了し、一般公開されています。
 
平日の15:00過ぎなので、人影も疎ら。
入場料300円を払って早速建物内部へ。
 
構造としては地上3階、地下1階。
うち、女中さんの部屋だったという3階を除いて公開されています。
 
材質も豪華、細工も丁寧で、見るからに高そうな造り。
複数の建物を繋ぐ地下道まであったそうで、当時のまま残っていればさぞかし立派な観光施設になったはず。
少々残念ですね。
 
山荘風の書斎、立派な造り。
三方が開放されているので、採光もよく居心地のいい空間です。
 
本当は、地下がインドやアンコールワット式の建築になっていて一番立派だったんです。
でも、ボランティアガイドのが熱心に解説してくれるので、写真を撮る暇も無しという感じでした。
 
1Fのボランティアガイドもまぁよく喋ること。
 
「名古屋飛ばし」の起源は6代藩主徳川継友から。
第7代将軍の徳川家継が病臥に伏した際、将軍職を奥ゆかしく待っていたら、紀州の吉宗に掻っ攫われ。
以来、将軍職のお声がかかることも無く幕末になってしまったんだとか。
 
その幕末は幕末で、官軍に恭順の意を表したにも関わらず、明治政府での役職には何もつけず。
列車も東京と大阪を結ぶのが基本、名古屋は休憩のために短時間停車するのみだったんだそうです。
 
なるほど。
名古屋も大都市ながら、確かに江戸時代以降の歴史では目立たなくなっている気はしますね。
 
勉強になるので嬉しかったんですけど、お陰で北園を見る時間が無くなってしまいました。
 
仕方ない。
南庭園と北庭園の間に建つ超高級ぽいマンションを撮影して、北庭園のすぐ横、16:30以降でも入れる日泰寺に向かいます。
 
と、いうところで、続きは次の記事にて。
 
 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿