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2015年1月12日月曜日

岐阜城の天守閣で戦国時代を想う

前回の記事に引き続き、岐阜城の記事です。
岐阜城といえば斎藤道三と織田信長を思い浮かべますけど、最初に城が開かれたのは1201年。
意外に歴史がある城なんですね。
 
とはいえ、山頂付近で平坦な場所といえばここ馬場跡ぐらいなんだとか。
 
これじゃ大量の兵を溜め置くこともできないし、当然ながら食料もさほどには貯蔵できず。
短期間の戦闘では守るのに楽な地形ですけど、敢えて攻めずに放置しても問題のない城、ということになるんじゃないかなと。
 
江戸時代には廃城になった、というのも理解できる立地ですね。
 
天守閣は戦後になって再建されたもの。
でも、戦国時代にこの山の上に天守閣なんて存在したんだろうか。
 
威厳を示すには麓から見える姿が余りにも小さいし、こんな狭いところに資材を運んでまで、わざわざ燃えやすいものを造る意味は無かったと思うんですよね。
あくまでも城っぽく見せるための現代人の演出、ということなんでしょう。
 
まぁせっかくここまで来たんだからと、天守閣の中を見物。
入場料は200円ですしね。
 
歴史的に価値のあるものは無いんでしょうけど、天守閣最上階からの眺めを楽しみたいなと。
 
これがその眺め。
北側から西側にかけて長良川、東と南は金華山続きの山並みなので、この地を攻めるのは容易ではないことは想像できます。
 
主力部隊は麓に、この山を少人数で守りながら、平野にいる敵の数や陣形を随時見て取る。
この城の使い方はこんな感じでしょう。
 
そろそろ山を降りるか。
天守閣を出たところから山頂を見渡すと、やっぱり狭いですねぇ。
 
さて、下りはどの道を行くか。
 
健脚コースのハードさは身に沁みているので、ファミリー向けコースを選択するしかないでしょう。
よし、関ヶ原の前哨戦で岐阜城が落城した際、攻め手の池田輝政が使ったという水手道、めい想の小径にしよう。
 
ファミリー向けコースとは言っても、山頂付近は岩がゴツゴツ。
下りでこの岩の上を歩くと、足ツボマッサージみたいで痛いんですよね。
 
ところで、何で「めい想の小径」なのか。
所々にこんな看板があったので、きっとこれを読んで、めい想に耽るようにということでしょう。
 
いやいや、こっちにはそんな余裕は全くなし。
足裏の刺激に耐えながら、何とか早くここを下り切りたいんです。
 
岐阜公園近くまで来ると、かつての伊奈波神社境内にあったであろう烏帽子岩。
どういう加減でこんな岩ができるのか、不思議ですよね。
 
いや~、下りもそれなりにキツかったので、次に岐阜城に行くことがあったらケーブルカーかな。
でも、充実した2時間を過ごせたのは苦労して歩いたお陰、せめて片道は歩くべきですね。
 
 
とにかくお腹はペッコペコ。
一先ず岐阜駅に向かって、遅めながらもお昼ご飯を食べなければ。
 
 
 

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